(過去に別サイトで書いたものをこちらでも残しておきたいと思い、ほぼコピペしています。)
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【生かされている】という言葉についてボクが衝撃を受けた話(ボクなりにアレンジしてます)をさせてもらいます。
【生かされている】ことを実感できるひとつの方法があるんです。
ほとんどの人が『自分は自分の意思で生きている』と思っています。
なぜそういうことになるかというと、全てが自分の意思で行動できるからです。
見る、聞く、書く、考える、話す、歩く、食べる、寝る。。。
すべての行動は自分の意思です。
お腹が空いたら食べるし、眠くなったら寝る。
右に行きたければ右を向いて歩く。
目の前に落ちている10円玉を拾うか通り過ぎるか。
自分の行動は自分の意思でできてしまうことが盲点なのです。
みなさん、携帯電話を手に取ってみてください。
ハイ。できますね。
マウスを動かしてください。
ハイ。楽勝です。
では、心臓を止めてみてください。
できますか?
あなたの意思で止められますか?
身を投げることはそれとは異なる事です。
それが【生かされている】ということの
ひとつの証なのだと思います。
神なのか。
大いなる意思なのか。
何のために、何によって生かされているかは誰にも分からないでしょうが、
ボクは、家族や友人の「愛情」がボクの心臓を動かしボクを生かしてくれているのだと思っています。
元気かな?どうしてるかな?
そんな ふとしたみんなの“思い”が集まって、ボクは生かされている。
そしてまたボクの“思い”も
誰かの生きる足しになっているのかな。と思っています。
この話をさせてもらうたびに、ボク自身が【生かされている】ことをあらためて感じています。
日々、そう思えるほどできた人間じゃないので、
こういう場所に残していつでも思い返せるようにしています。
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古いコメントなので今の僕から見ると追記したいことがあるので
またあらためて書き残そうと思います。